絵莉菜が来てから十分以上経ち、パーティーの準備は完璧に整った。テーブルには、せっかくのお祝いだからと、高級な肉。それに新鮮な野菜も切って並べてある。もちろん、それ以外にも所狭しと様々な料理の品々が陳列されている。ただし飲み物は缶チューハイやワインといったアルコール類がほとんどである。別に間違って買ってしまったというわけではなく、俺の家では、こういう祝い事の日には平気で酒を飲んでいるからなのだ。まあ、親が全然帰ってこない家庭環境では、これぐらいは許容範囲なわけであるし、アルコールが入ってた方が盛り上がると言えば盛り上がるのである。
「よし、なんとか準備は終わったな」
「後は他のみんなが来るのを待つだけだね」
「ピンポーン」
「噂をすれば何とやら、ってね。俺が出るよ」
と、玄関のドア越しにどうやら敦志と瑞樹、それに聞いたことのない三つの声が、騒々しく聞こえてくる。
「やっほー☆ 来たよー!」
「まったく、何故俺が瑞樹なんかと一緒に来なければ……ブツブツ。まあポジティブに考えれば、久遠姉妹に会えるだけ良しとするか」
「タダで焼肉が食べれるなんて、喜ばしいことじゃな~い! 敦志にも優しいお友達がいたものね~」
「何で姉ちゃんまで来るんだよ。そもそも、今日は勤め先のキャバクラ、営業日じゃなかったのかよ」
「今日はお店は休みなの。ママの体調が悪いんだって。それに、鍵士君がどういう子なのかも見てみたかったのよね~。ほら、お互い、まだ面識ないじゃない?」
「しかし師匠。鍵士は師匠が期待するほどの男じゃないと思いますが? 言うなれば平均的というか、普通の男子ですよ?」
「ふふ、瑠璃。そうやって客観的に男性を捉えすぎるのは良くないと思うわ。それにね、今の時代、逆に普通な男性ってのはそうそういないものなのよ。つまり稀少なのよ、彼みたいな男性は」
「師匠、すいません! アタシとした事が、未熟な上にそのような勝手な発言をしてしまうとは……」
「瑠璃、頭を上げて頂戴。あなたの言った事は決して全てが間違いという訳ではないの。要は人それぞれの感性によるものなのよ。これからその感性を磨いていくのよ!」
「はい、師匠!」
「たく、どうして瑞樹はいつもそんな風にしていないんだ?」
「なんか言った、バカ?」
もう夜だというのに、こんな会話を大きな声でされては、いくら何でも近所迷惑だ。
「ガチャ」
「あのさ、少しは静かにしていられないのか?」
「おお、久遠! ちゃんと来てやったぞ!」
そりゃどうも。つーか、その手に持っている薔薇の花束は何なんだ? もしかして姉貴とか未由に渡すための花なのか?
「おじゃましまーす! あれ、もう絵莉菜、来てたんだ?」
「これが鍵士く~ん? 初めまして、蘭子ですぅ! ヨロシクねん」
「あ、ども、初めまして。久遠鍵士です」
――これが蘭子さん……。想像通り、確かに瑞樹が尊敬するだけはあるな――
蘭子さんの服装は、やはりキャバ嬢と言うだけあって、胸元の大きく開いた、極めて露出度の高い黒のキャミソールを着こなしていた。しかしそれがあまりにも似合っている。これなら男性が蘭子さんの虜になってしまうのも無理もない。いわゆる大人の魅力ってやつだ。
「言っとくが決して惚れるなよ。でないと他の男共と同じように、いろんなものを全て搾り取られるからな」
「何だよ、いろんなものって?」
「そういう言い方はないんじゃないかな~、敦志」
やっぱり瑞樹が蘭子さんのことを師匠と言うのも無理もない。二人とも同じタイプの人種のようだ。
「ゴメンね~、鍵士く~ん。うちの敦志がしょっちゅう迷惑をかけてるみたいで~。フフフ……」
「いえ、確かに敦志はいろいろな面倒な事をよく起こしていますけど、それが彼らしさというか、別に気にしてませんから」
「まあ! 鍵士くんって噂以上に優しい男の子なのね~。お姉さん、余計に鍵士くんのことが気にいっちゃったな~」
この場合、どういう返事をすりゃいいんだ……?とにかくできるだけ早く、家の中に入ってもらわないと。ここでいつまでも長話が出来るほど、俺はお喋りな人間じゃない。
「あの……、蘭子さん。それに敦志と瑞樹。とにかく家の中に入ってもらえないか。立ち話もなんだし、絵莉菜と未由が作った料理も冷めちまうしな」
「あ~ん、ゴメンね~鍵士くん。じゃあさっそくおじゃましま~す!」
「鍵士の言うことはもっともだな。如月さんと妹さんの手料理を冷ましてしまうような大罪を犯すのは、俺の理念に反するからな」
「バカの理念はともかく、絵莉菜の料理はおいしいからね。冷ましちゃうわけにはいかないでしょ」
「まあ、そういうことだ。とにかく入ってくれ」
「おじゃましま~す!」
三人のあまりにも大きすぎる声が、近所まで響いていた。
* * *
時計の針はちょうど六時を指している。ようやくパーティーは始まった。
「絵莉菜ちゃ~ん! 缶チューハイ、もう一本頂けるう~?」
「あ、はい、蘭子さん! でもちょっと飲み過ぎなんじゃありませんか?」
「いいのよぅ、お酒を飲んだ方が盛り上がるじゃな~い! 鍵士くんもどんどん飲みましょうよ~」
「い、いえ。俺はもう随分飲んだので」
「いいじゃなーい! せっかくのパーティーなんだし、もっと飲まなきゃー」
「そうだよ、お兄ちゃん! はい、ア~ン」
凜の手が俺の口元に動く。おい、この動作はいくら何でも危険すぎる。これは未由に対しての挑戦に他ならない。それどころか、絵莉菜の目の前でこんな事はしたくない……。
「や、やめろよ凜! 恥ずかしいだろーが」
キラーン。瑞樹がこの光景に目を光らせた。
「絵莉菜、これはチャンスよ! 絵莉菜も凜ちゃんと同じように、鍵士に『あ~ん』してあげるのよ!」
「え、いいよ私は……」
「絵莉菜ちゃ~ん、女は度胸よ! 頑張って鍵士くんに自分の事をアピールするのよ、分かった?」
――うん、瑠璃ちゃんと蘭子さんの言うとおりだ。鍵士君と少しでも仲良くならなくちゃ! いつまでもオドオドしてちゃダメだよね!――
「そ、そうだね!」
そう言うと絵莉菜は、自分の目の前にあった唐揚げを一個、箸でつかみ取り、それを鍵士の口元へと持って行った。
「く、久遠君。あ~ん……」
――やっぱりドキドキするよぅ~……――
唐揚げを掴んだ箸はプルプルと震え、恥ずかしさを抑えきれないせいか、顔には恥じらいで赤く染まっていた。
「ガンバレ、絵莉菜ちゃん!」
「後もう少し、絵莉菜!」
当の鍵士といえば、凜の『あ~ん』から必死で逃げているため、絵莉菜の一世一代の行動を知る由も無かった。そしてさらに不幸な事に、未由が台所から戻ってきてしまい、凜の行動を目撃してしまった。
「何してるの、お兄ぃ! それに凜ちゃんも!」
未由の声に気付いた凜が、振り向きざまに一言。
「何って、お兄ちゃんに『あ~ん』してあげたんだよ☆」
――凜!? いくら何でも空気を読んでくれって!――
「おい!? これはあくまでも凜が勝手にやってきただけで、不可抗力なんだって!」
「そもそも、食べるなら健康面も考えて、野菜サラダも食べないといけないね!」
そう言って未由は野菜サラダを小皿にのりきらないほど、こんもりと大盛りでよそった。
「というわけで、お兄ぃ! これも食べてね」
無理やり、大盛りの野菜が口の中に押し込まれる。
「むがっ!? もごもご、むふっ! やめてくれ未由、マジで苦しいから!」
「あ、未由ちゃん、ズルいよー!」
さらに凜の持つフライドチキンが俺の口に押し込まれる。それと同時に長い時間をかけてようやく鍵士の口元へと辿り着いた絵莉菜の唐揚げを掴んだ箸がさらにその奥へと向かっていた。
「鍵士君、食べて!」
――絵莉菜!? 絵莉菜が俺に『あ~ん』を!? 夢のようだが今は夢にしておいてくれ! じゃないと俺が死んじまうって!」
鍵士への『あ~ん』を巡っての女三人の争いは、逆に鍵士を追い込むような形で始まってしまった。
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